平成17年度1/12電動レーシングカー全日本選手権
(本文はRCワールド2006年度2月号に掲載したものです)
開催日 2005年10月14日?16日
この種目の連覇を賭けて挑む広坂、優勝争い常連の北澤秀郎、伊藤拓也両選手、そして広坂よりも早いタイムを出してポールポジションを獲得した、チームメイトの木村心哉選手の4名が、決勝Aメインでバトルを演じた。決勝Aメインの2番手からスタートするという12分の1クラスの全日本選手権は過去に少ないため、スタートでのイメージが出来ない。広坂が最高の走りで出した予選でのベストタイムは35周8分7秒であったが、トップゴールは同じヒートで走っていた木村選手であった。木村選手は8分6秒という大会記録でポールポジションを獲得したのである。彼は昨年度このクラスに初出場し、堂々3位に入賞した若手のドライバーで、オフロード2WDクラスの全日本選手権では見事TQ優勝を成し遂げた、今最も波に乗っている選手といえる。
Aメイン1回目のスタート直後の1周目、木村選手のマシンのラインが少しあいたため、そこへ切り込んだところ、広坂のマシンが内側のパイロンに乗り上げた。そしてそのまま外側にふくれ、木村選手のマシンにヒットしてしまった。ゼッケン1番はそのまま外側のフェンスに激突し、最下位に転落してしまった。トップに立った伊藤選手とのバトルに競り勝った広坂はそのままトップゴール、木村選手は怒涛の追い上げを見せ、3位に食い込んだ。スタート直後は最もアクシデントの多い時であるが、木村選手を弾き飛ばしてしまったことが大ショックであった。何故なら私を予選で追い抜くほどの実力者がチーム内に現れたことは非常に嬉しく、決勝ではお互いに実力を発揮できるような綺麗なレースで勝敗を決めたかったからである。ピットに戻ると開口一番「すみません」と木村選手のメカニックを務めるお父さんに謝った。「このような勝ち方では誰にも喜んでもらうことは出来ないし、自分も嬉しくない」。久しぶりに泣きそうになった瞬間であった。
今年は6年ぶりにオフロードにカムバックするため、世界選手権参戦の準備に大半の時間を費やした。それだけに12分の1レーシングのテスト走行にかけられる時間が僅か、本格的なテスト走行は皆無の状態で選手権に参加することとなったため、非常に苦戦を強いられたレース展開となった。メカニック海野氏とのコンビは、昨年度の同大会でのデビュー戦以来、12分の1では無敗である。又、バッテリーのスペシャリストである、横山武選手とモーターのスペシャリストである、北川直哉選手のチームヨコモ入りも非常に大きな即戦力である。
さて我々が持ち込んだマシンは、ヨコモから発売したばかりの12L4ワールドエディションVer2006であった。シェイクダウンでは、マシンは転倒するほどの挙動を見せ、シャシーロールが柔らかすぎるのではないかという見解のもと、昨年使用した肉抜きの少ないメインシャシーに切り替えた。しかしこの判断が結果的に苦戦を強いられる要因となった。何故なら、転倒の原因はシャシーが柔らかすぎたからではなく、タイヤが柔らかすぎたためであった。それに気付いたのがレース終盤、木村選手が使用するスタンダードシャシーがトップタイムを出した時であった。しかし決勝直前では、マシンを大きく仕様変更することなどは出来ず、そのままの仕様でセッティングを換えるしかなかった。
ではここで、今回使用したマシンの詳細をご紹介しよう。12L4ワールドエディションVer2006キットに付属する最新パーツのほとんどを搭載、センターショックをアジャスタブル式のIRS製にした。フロントタイヤはヨコモ・Lラバーファームを42mmで、リアタイヤはジャコーのアクアを42mmに設定した。路面グリップの低い時には、リアタイヤをLラバーソフトにして対応した。
モーターは9ターンダブル、バッテリーはヨコモX3800IBを使用した。X3800IBはハイパワー且つ大容量の8分間走行には最適といえるバッテリーである。しかしバッテリーの容量が大きくなっても、その分モーターのパワーを上げるため、8分間走行時には、やはりバッテリーダウンは避けられない。注意点としては完全放電したままで放置しないことと、特に8分間走行においては、充電電流を強くかけ過ぎないこと、そして温度を上げすぎないことである。
ボディは前回同様に、パーマのスピード8がコースにマッチした。
また、受信機用電源として、Gスタイルが取り扱う200mAのリチウムポリマーバッテリーを今回初めて使用した。このバッテリーの特徴は、7.4ボルトであるところ。通常メインバッテリーが4セルの場合、4.8ボルト(1.2x4)でサーボを動かすことになるが、リチウムポリマーを使用すると7.4ボルトでサーボを動かすため、スピードが上がるのである。また保護回路が入っており、過充電時と過放電時にはオートカット機能が備わっているため、従来の充電器で安心して充電できるのである。ただし、7.4ボルト以上に対応しているサーボを使用しなければならない。また、超軽量、超小型であるため、1/12には扱い易い。鉛テープで総重量を増やしたほどであった。ちなみに使用したサーボはKO製PDS-949ICS、受信機はKR302Fであった。
ESCはGM製のパープルSX12W MASAMI MODEL。このESCの特徴は、周波数がオートマチック(自動可変)に出来るため、モーターやバッテリー他に合わせて周波数を変更する必要がない。フィーリング的には非常に吹け上がりが良く、省エネ走法し易い特性を持ち、世界選手権で優勝したESCである。
ほぼ同仕様で参加した、木村、広坂他、初参加の丸山勝平選手、岡山から参加の福田一郎、そして鈴木昭選手の計5名のチーム員が1-2-6-7-10位の必勝体制でAメインに進出した。10名中5名を占めた裏には、若いチームメイトや応援団が作ってきてくれた「ガンバレチームヨコモ」と書かれた看板が、力添えとなってくれたのかもしれない。また通常では地域別に分けられるピットエリアであるが、今回初の試みとして、テントを多く借りて、全国のチームメイトと一緒の場所にピットを確保したこともプラスとなったようである。
決勝日は朝から豪雨であったため、天井に溜まった湿気が路面にも落ち、一部ライン上がウェットになってしまった。タイヤがスポンジ製であるため、ぬれた路面上では一瞬にしてスピンしてしまう。思い起こせば1988年の世界選手権での出来事。決勝レースが土壇場の終盤に差しかかったところで、何と体育館にも関わらず雨漏りが始まった。水滴は周回を重ねるごとに、ライン上にポツリ、ポツリと落ちだし、トップ争いしている中で、遂にすべり出すマシンが出てきた。広坂の通るラインは水滴よりも若干外れていたため、幸いにも雨に助けられた形となり、そのままトップでチェッカーを切り、12分の1クラス初優勝となったことがあった。
水はスポンジタイヤの天敵であると知る我々は、各選手自らがスタート前の選手紹介直前まで、路面を乾かしていた。
Aメイン第2ラウンド、今度は木村選手にぶつけないことを心掛けてスタート。上手く1周目をクリアしたが、木村選手のペースが上がらず、後続車に追い詰められたところで木村選手がミス、広坂がその隙をついて独走態勢に持ち込みトップゴールし、優勝を決めた。
今大会で、JMRCAの全日本選手権で優勝した回数が通算50回となった。ここまでの長い道のりは、多くの方々にお世話になり、また支えとなっていただいたお陰であります。またこの度、中学生の頃から可愛がっていただいた、JMRCAの理事長を務める木村尚氏が、今年で最前線での活動を退くことを発表なされた。雨の日も風の日も、期間中レース場でじっと運営を見守っておられ、レースの成功を祈っておられました。長年のご活動ご苦労様でした。そしてこれからも業界の発展の為、益々のご活躍をご祈念申し上げます。